ギャンブル依存症の思考回路

パチンコ、スロットで15年間依存症を続けた人間の日記です。

ギャンブル依存症クズ具合

どうも。

クズ人間です。

ギャンブル(パチンコ・パチスロ)依存症の私が、ギャンブル依存症のクズ具合をご紹介したいと思います。

因みに全て私のことなので、他の依存症の方についてはわかりませんので悪しからず。

 

思考回路のクズ具合

○先ずは物事の考え方です。

人生において何よりもパチンコが大切で、パチンコをやる時間とお金をどうやって捻出しようか常に考えています。

 

例えば、

約束の前にパチンコを打っていた場合、負けている状態ではやめられません。約束よりもパチンコを取ります。

 

○お金の価値観が壊れています。

パチンコで勝ってお金のある時は羽振りが凄く良いです。(借金がある状態でも)

負けてお金が無い時は節約ではなく、パチンコでお金を捻出しようとします。

軍資金がない場合は、物を売ることは当然で、人に借りたりサラ金に手を出して捻出します。そのお金でパチンコに行き。借りたお金自体もパチンコで返そうとします。

 

パチンコでは1〜5千円単位は紙くずです。それくらいのお金は15分もあれは無くなります。

なので、地道に節約なんかやりたくありません。負けた時に苦労して貯めたお金が無くなったストレスに耐えれないからです。

 

ギャンブル依存症の人は以外と現実的な思考回路をしてます。

殆どの依存症患者は自分はクズ人間だとしってます。

クズだと知っていて尚底辺に堕ちていく自分が嫌でしょうがないんです。

 

前置きはこれくらいにして、クズ人間のクズ行動をこれから書いて行きます。

 

・家賃をパチンコにつぎ込む。結果負けてサラ金からお金を捻出する。

・結婚式のご祝儀のお金をパチンコにつぎ込み急遽欠席の連絡をする。

・明日返すと言ってお金を借りて、パチンコで負けたので次の日理由をつけて返さない。

・パチンコの軍資金を作るために会社の金庫からお金を持ち出す。負けてさらにバレにくい所からお金を持ち出し金庫にお金を戻す。

・家族に仕事と嘘をついてパチンコを打ちにいく。

サラ金の返済をサラ金の借り入れで補填する。

 

一部ですが具体的にこんな事やってました。

全て一度や二度ではなく何度もやってました。全てはパチンコに行くためにやってた事です。

今思い返してもクズ人間具合が果てしなく、できるなら記憶を消したいです。

とりあえずこれくらいで終わりにします。

ありがとうございました。

【ギャンブル依存症から抜け出したキッカケ③】

どうもクズ人間です。

前回の続きを書きます。

 

とうとう妻にお金がなく借金がある事を話した所から始まります。

 

一通り現状を妻に話しお金を貸して欲しいと言いました。

妻は完璧主義者で不完全なものを嫌います。

僕の現状は不完全以前の問題です。

当然妻は激怒しました。

僕はごめんしか言えませんでした。

 

一時間ほど烈火のように怒り続けた妻が僕に言いました。

『自分でお金は稼ぐから私に働かせて。信用できない』

 

この言葉で僕は頭を殴られたような衝撃がありました。

僕は昔から妻に子供との時間を多く取って欲しい、無理しないで欲しいと話していました。

 

僕はギャンブルで信用を失ってしまい、

更にそのせいで妻と子供の時間を失わせてしまいました。

いっている事とやっていることが違いますよね。

 

僕はいつの間にか依存症に手を引かれて人生の地獄の入り口まで来てしまっていました。

友達や親に借金・消費者金融・会社で横領

改めて過去を振り返ってもダメな人間がやる事ばかりをやっていました。

 

僕に残されているのは家族の信用です。

人間において恐らく一番大切な繋がりだと僕は思っています。

それを無くしてしまうと僕の人生に信用という文字はなくなります。

妻の言葉で家族に信用を失った後の人生は無いとはっきりと理解ができました。

 

 

僕の人生はパチンコとパチスロで壊されて来ました。

ギャンブルをやってなければ今までに歩んだ苦しみは一つも訪れなかったと思います。

僕のこれからの道はシンプルでした。

パチンコ、パチスロをやめるか、やめないか。

この二つの道です。

 

当然これまでも何度も辞めると考えて無理でしたが、ここが人生の終点だと考えたら恐ろしくなり行けなくなりました。

 

僕は依存症よりも強い感情の恐怖を使い地獄へ進む足を止める事ができました。

依存症は本当に恐ろしい病気です。

本能よりも強い欲望が襲ってきます。

どんなに強い意志を持っていても瞬間的に依存症が上回って意志を捻じ曲げてきます。

 

僕は自分で依存症になってわかった事は1人では抑えられないという事でした。

過去を振り返ってもブレーキになったものは人との繋がりでした。

僕の場合はクズなのでブレーキをその都度壊してしまいましたが、人との繋がりは壊れたブレーキを何度も直してくれました。

ブレーキを踏む僕はそれを邪魔だと思い壊し続けてきましたが、、

 

とりあえず僕の過去はここまでです。

汚い文章にも関わらず読んで頂きありがとうございました。

 

【ギャンブル依存症から抜け出したキッカケ②】

どうもクズ人間です。

前回の続き書きます。

 

依存症を再発した僕はまた借金地獄に足を踏み入れます。

但し、任意整理中の僕には消費者金融は貸してくれません。

クズの僕は何処からお金を借りようか考えます。

親はダメ、友達もダメ、なら信用がある程度ある大家に借りようと。

ついにほぼ他人のアパートの大家にも頼み込んで借りはじめました。

大家さんは凄く良い人でした。

僕が本当にお金が足りないと思って貸してくれました。

僕はそのお金をパチスロで使うという人間の風上にも置けない事をしていました。

 

それでもお金は足りなくなります。

ついには会社のお金をバレないように抜き、工面ができたら戻すという犯罪にまで手を染めはじめました。

この時の思考回路は、お金が返せないという事が最大の罪で、返せるならどんなに汚いお金でも良かったです。

借りたお金が返せるなら他人のお金を盗むことも考えました。

 

『バレなきゃいい』でした

 

日々やる事がエスカレートしました。

恐らく会社にバレていたらクビでは済まないところまでいきました。

金額で言えば恐らく50万以上は会社のお金を流用していたと思います。

 

いや、恐らくバレていたと思います。

その時の支配人は優しい人でこんな僕を助けてくれて目をつぶってくれていたのかもしれません。

その対応に賛否あると思いますが、その時クビにならなかった事で僕の人生は今を迎えられているんだと思います。

 

そんな最中に出会った彼女と結婚までいき結婚して子供もできました。

何度もパチスロをやめるために努力し、もうやらないと何度も決意しました。

しかし、そのどれもが長くても2ヶ月で再発し何度も地獄に引き戻されました。

寧ろ家族ができた分自分はクズという気持ちが更に強まり、自暴自棄のスパイラルの深みにはまっていきました。

 

 妻子持ちで貯金ゼロ、さらに横領、借金まみれ。

当然妻は借金の事も横領の事もしりません。

騙して結婚したと言っても過言ではないと思います。

 

この時の僕にはお金が最大のコンプレックスで、誰にも言えないものになってました。当然ですよね。死にたかったです。でも死ねませんでした。

 

こんな僕に転機が訪れます。

転機と聞くと光明が見えるとか、脱出の糸口が見つかるとかそんな明るい言葉を連想しますが、クズは違います。

とうとうパチスロと借金の負のスパイラルで家に入れる必要なお金が全く無くなってしまいました。

 

当然妻は僕を問い詰めました。

言い逃れができず、貯金がなく、借金の事を話しました。

 

 

まとまりがない文章を長々すいません。

次回はこの続きを書きます。

【ギャンブル依存症から抜け出したキッカケ①】

どうもクズ人間です。

前回までは、僕がギャンブル依存症になり、人生を狂わせた過程を書きました。

 

今回からはギャンブルから足を洗う過程を書きたいと思います。

 

任意整理を始めた僕は、強い気持ちで依存症を抜け出そうと決めました。

※任意整理とは自己破産の一歩手前で、社会的信用がなくなり、ローンもクレジットカードも作れなくなります。

 

任意整理を始める前に弁護士の先生は僕に教えてくれました。

『社会的な信用は最低でも3年は戻らないと思った方が良い。』

さらに続けました。

『任意整理中に借金は絶対しないでくれ』

とも言われました。

つまり闇金のことですね。

そうすると助けられなくなるとの事でした。

※因みに、先に書きますが闇金には手を出してません。

 

前途したように僕は気持ちを強く持ち、パチスロをしたい時もありましたが基本的に我慢をしてなんとか過ごしました。

 

しかし、強い気持ちというのは一過性で無理な我慢はクズには続きません。

そもそも依存症は脳の病気で、強い気持ちだけで治そうとしても土台無理な話なんです。

強い気持ちは一過性です。

いずれ風化して脳の習慣に飲まれてしまいます。

またパチスロに手をつけるのに3ヶ月かからなかったと思います。

 

その時の感覚を書きます。

頭の中に昔のようなパチスロに対しての射幸心は消え、やりたいと思わなくなってました。

同時に当初の強い意志は消え、辛い記憶も思い出せなくなっていました。

まるで、過去の経験が自分の出来事ではなかったかのような解放された感覚になりつつありました。

 

ある時、時間とお金が多少でき、パチスロ店の前を通り過ぎようとしました。

『負けてもいい。数千円だけやってみよう。』

普通にそう思いました。

 

パチスロに店に入りパチスロをやりました。

勝ったか負けたかは覚えてません。

悔しい、取り返したいとも思わなかったと思います。

でも、パチスロに対して抵抗という物が大きく無くなったのは覚えてます。

次の日も行き一万円ほど負けました。

この時は額が大きかったので腹が立ちました。

今まで必死に我慢して貯めたお金がたった数分で無くなってしまったからです。

 

そこからは、負けた分を取り返したいと思いやり続けました。

とにかく何が何でも取り返したかったです。

 

パチスロを勝ちや負けの尺度で捉えている時点で考え方が間違ってます。

パチスロに限らずギャンブル施設全てですが、楽しんで負けるところです。

楽しむことを対価にお金を使う場所なので、勝ち負けに拘った時点で依存症に足を踏み入れています。

僕の場合はそうでした。

 

負けたくない。

負けるとわかっていながらも負けることを受け入れられなかったんです。

 

パチスロを再開して約2週間ほどでそれまでに貯めた貯金は0になりました。

また地獄に自分で入り、自分で苦しみ始めました。

 

今回はここまでにします。

次はこの続き書きます。

ギャンブルとの馴れ初め④

どうも、人間のクズです。

 

今回はサラ金業者に面接に行った所から始まります。

 

サラ金業者も損をしたくないので、返せない人には貸しません。

つまり、これから死にゆく人間に手は差し伸べません。

ですので、これまでの借金の額とか、収入など色々書いたり聞かれます。

 

当然僕は本当のことを言いません。

言ったら貸してくれない事は目に見えてます。

担当の方はある程度僕の情報を聞き出した後一度席を離れました。

恐らく今話して書いた事が本当かどうか確認しに行ったんだと思います。

 

僕は諦めてました。

ほぼ人生も諦めてたと思います。

そこのサラ金業者で借りれなければ闇金に行くしかなかったからです。

 

担当が帰ってきました。

答えは当然融資ができないでした。

僕は帰ろうとしました。

が、その人は何故か融資ができない理由を懇切丁寧に裏事情まで説明し始めました。

貸せない相手に話すことではないし、自分が聞いていいレベルの話なのかもわかりませんでした。

 

貸せない理由を話し終えた後にその人は続けました。

『君はそんなに若いのにこんな事になってはいけない。知り合いの弁護士を紹介してあげるから行きなさい。』

僕は騙されてると思いました。

話を適当に聞いて帰るつもりでした。

 

その人はおもむろに携帯電話を開き誰かに電話しました。

『僕の息子の友達がかなり借金して困ってるんだ。助けてあげてくれない?』

と、僕は信じられませんでしたが、その人は嘘をついてるようにも思えなくなりました。

 

その人は電話を切って僕に言いました。

『この住所に今話した弁護士がいるから今から相談に行きなさい。』

僕は思わず考えていることを言ってしまいました。

『初めて会った僕になんでそこまでしてくれるんですか?』

無意識に出ました。

その人は、

『僕の息子は丁度君ぐらいの年齢なんだ。そんな子が大変な目にあっていて無視できない。』

僕はこの人のことを信じました。

そして、そのあとすぐに紹介してもらった弁護士事務所に行き、人生の再建の道を進みはじめました。

 

話はここまでです。

この後も依存症の症状は出続けましたが、少しずつフェードアウトして行きました。

完全にパチスロをやめるまで約3年、やはりこの期間中も周りに迷惑をかけましたが前よりは酷くはなかったです。

 

僕は依存症を知ってます。

依存症は全てを無くします。

長く続くと自分の存在に疑問を持ちはじめます。

苦しみます。

この期間の内にほとんどの人は自暴自棄になります。

依存症を抜け出すには結局は人間の繋がりです。

繋がりが依存症に打ち勝ちます。

綺麗事ではないです。

 

 

次回は依存症から抜け出した経緯ときっかけを書きます。

ギャンブルとの馴れ初め③

どうも、クズ人間です。

前回の続き書きます。

 

地獄が始まった時とほぼ同時期に、奇跡的にアルバイトから社員になれました。

ここで一つの区切りとしてパチスロを止めようと何度も試みましたができませんでした。

 

この時から自分に対して嫌悪と軽蔑が始まります。

『自分はなんて弱い人間なんだ。』

『周りは普通に貯金しているのに、自分は毎月のように負債を増やしている。』

 もう二度とパチスロは打たないと強く誓ったのに、次の日にはやってしまうということを繰り返していました。

やめたいのにやめれない毎日が地獄のようでした。

 

依存症は、強い気持ちを持って治すということはまず無理です。

理屈も通用しません。

脳の機能に異常を起こしているので、本能レベルで症状を繰り返します。

この時は食・睡・精の三大欲求より強い欲求レベルでした。

 

そんな事を続けていると、とうとう借り入れも焦げ付き、もうどこからも融資を受けられなくなりました。

その頃には、金融だけでなく、親や、友達からもお金を借りることができなくなり、自分の住んでいるアパートの大家さんに頼み込んで借りていました。

大家さんにもかりることができなくなるとついには犯罪に手を出したこともあります。

 

何度か死のうと思いましたが、今死んだら借金が保証人に選んだ親に迷惑がかかるのでやめました。

流石のクズも死んでまで迷惑をかけたくないと思いました。

 

その日暮らしを続けていると、ある日所持金が全くなくなり、ダメ元で借りられる所を探しました。

ある、サラ金業者に電話をかけ、会社でお話をすることになりました。

 

その日にサラ金会社に行き、面接しました。

50代後半の優しそうな男性が対応してくれました。

 

この日の事は一生忘れない出来事が起こりました。

 

ここから長くなるので次回に書きます。

すいません。

 

ギャンブルとの馴れ初め②

こんにちはクズ人間です。

今日は前回の続き、消費者金融から50万円の借り入れをした所から始まります。

 

借り入れて直ぐにパチスロ店に行き、その日に更に2.3万円負けました。

初めての借り入れとは思えないほど躊躇なく使いました。

 

その時は50万もあればパチスロで上手くやればいずれ取り返せると考えていました。

それまでに少なくとも100万以上パチスロで負けているのにです。

 

その頃バイトをしていたので毎日は行けませんでしたが、バイト以外の日は殆ど毎日パチスロ店に通ってました。

そんな事を続けていると当然ながら約1ヶ月で50万円は無くなりました。

 

すぐに違う消費者金融で借り入れをしました。

武富士で50万円だったと思います。

借りいれる時も1回目と同じでお金が必要な事が近々あったんだと思います。

 

この時は50万円の借金を抱え、返済に何年もかかる事が受け止められず、やはりパチスロで返そうとしました。

クズ人間は無理とわかっていても都合よく奇跡にすがりつきます。

結局はただパチスロを打つ為に理由を探してたのかもしれません。

 

しかし、この時まさに奇跡が起こりました。

4時間程で40万円勝ったんです。

正に夢かと思うような出来事でした。

負債は30万円まで返済できあと少しというところまでいきました。

 

残念ながらこの勝ちが更に依存症の症状を強めてしまう結果になりました。

 

残念ながらその後もパチスロに行き続け、あっという間に累計100万円の負けになりました。

勝った40万円はおそらく1週間もたなかったと思います。

とにかく恐ろしい速度で負けました。

 

この辺りから僕の依存所はピークとなり、歯止めが効かなくなたていました。

自分の稼いだ給料を使うのは当たり前で、足りなくなった分は親や友達に嘘をついて借りました。

 

そしてついに毎月の返済ができなくなる状況までいきました。

負債総額は確か180万円になっていたと思います。

今の法律では考えられませんが、この時代は貸付にしっかりと法律が整備されておらず、アルバイトでも簡単に年間収入を偽って借りられました。

 

毎月の給料は18万円、返済金額は合計9万円。因みに家賃は約8万円でした。

毎月マイナスで返しては借りるの繰り返しでした。

ここから地獄の2年間が始まりました。

 

長々取り留めもなくすいません。

次回はこの続き書きます。